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  • 越前敏弥
    文芸翻訳者。 いまのところ、更新は週1、2回程度です。 ご感想・お問い合わせなどは office.hyakkei@gmail.com へお願いします。
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翻訳とことば

2017年2月17日 (金)

連載「出版翻訳あれこれ、これから」完結

 DOTPLACEの連載〈出版翻訳あれこれ、これから〉の第10回「出版翻訳者の心がけるべき8か条(後編)」が公開されました。前編と合わせて読んでください。
 全10回の連載がこれで完結しました。現在の出版翻訳のあり方について、思いつくままに書きながら、自分のなかでも少しずつ問題点を整理できたと感じています。このような機会を与えてくださった DOTPLACE の関係者のみなさんにこの場を借りてお礼を申しあげます。
〈出版翻訳あれこれ、これから〉の全記事は以下のとおりです。未読のかたはまとめてどうぞ。 
 

 第1回「翻訳小説のおもしろさを伝えるために
 第2回「
翻訳書が出るまで
 第3回「
翻訳出版の企画を立てるには
 第4回「
翻訳書の読者を育てるには
 第5回「
出版翻訳の印税や契約について
 第6回「
全国翻訳ミステリー読書会
 第7回「
はじめての海外文学について
 第8回「
《BOOKMARK》、サウザンブックスほか
 第9回「
出版翻訳者の心がけるべき8か条(前編)
 第10回「
出版翻訳者の心がけるべき8か条(後編)

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2016年3月22日 (火)

語学力について

  『翻訳百景』や『日本人なら必ず悪訳する英文』などには、翻訳の仕事をするための最も大事な適性として、「日本語が好き」「調べ物が好き」「本が好き」の3つをあげています。そのせいなのか、外国語を読む力はあまり重要ではないと錯覚していると感じられる人を、近ごろはクラス生やネットでの発言などでときどき見かけます。

 わたし自身、翻訳をするにあたって「日本語がものすごく大事」だと当然思っていますが、「日本語のほうが大事」や「外国語力は重要でない」などとは思っていませんし、そのような趣旨の発言をしたこともありません。これまでの著書などからいくつか引用させてください。

 まず、『日本人なら必ず誤訳する英文』の187ページから188ページにかけて。3つ目のインタビューの後半です。

 10年近く翻訳学校で教えてきた経験から言うと、日本語の運用力と英語の読解力は、99%の生徒について完璧に比例します。よく生徒から「どっちが大事ですか」と聞かれるんですが、そもそもそんなのは意味のない質問で、多少とも語学に興味を持って勉強しようという人の場合、どちらか一方が得意なんてありえないんですよ。日本語の語彙が貧困なのに英語だけ豊かなんて変な話だし、一読してわかりにくい日本語を書く人が英語の構文を読みとるときだけ鋭いなんて例も見たことがない。現実には、訳出という作業によってふたつの言語のあいだを行き来することで、両方の言語の特性が同時により深く理解できるんです。翻訳だけじゃなくて、中高生レベルの英文和訳だって同じですよ。

 つぎに、中上級の翻訳学習者向けの講演やセミナーでのみ配布している資料(Q&A集)にはこうあります。

――翻訳には英語力と日本語力のどちらが重要だと思いますか。
 よく「日本語が大事」と言われますが、それは「母国語に鈍感な人が外国語に敏感であるはずがない」という意味にすぎないのであり、「英語を正確に読めなくてもどうにかごまかせる」ということではありません。

 最後に、『翻訳百景』の20ページ。冒頭の「文芸翻訳の仕事」の項の終わりのあたりです。

 一方、「英語が好き」はどうかと言うと、これは必要条件ではない。もちろん、「英語を正確に読める」ことは必要だが、「なんとなく英語と接しているのが好き」な人にとっては、翻訳よりも向いている仕事がいくらでもあるはずだ。

 ほかにも同じ趣旨のことをどこかで言ったり書いたりしているかもしれません。長く翻訳の仕事や勉強をつづけている人なら、あたりまえのことばかりではないかと思いますが、ご参考まで。

2016年2月 5日 (金)

翻訳書の持ちこみ企画について(その2)

 少し前に翻訳学校フェロー・アカデミーのこのインタビュー記事で、先日の第15回ミニイベントでお招きした金原瑞人さんが翻訳企画の持ちこみについてかなりくわしく話していらっしゃいました。大変役立つ記事なので、ここでも紹介します。 

 特に、「持ち込みはなかなか成功しないという先入観があるのですが」という問いかけに対して、「そんなことはないですよ。それは持ち込み方が悪いからでしょう。もしくは持ち込む相手が悪いんだと思います」とお答えになっているところは、わたしにとっても衝撃的でした。わたし自身も、持ちこみに成功したことは、古典新訳も含めて数回しかないからです。 

 しかし、このインタビューを読み進めていくにつれ、うなずけることばかりだと感じました。ひとことで言えば、海外作品の紹介者として、編集者や出版社のアドバイザーになれるぐらいの知識や鑑識眼を持つべきだということでしょう。点や線で攻めるのではなく、面で攻めていくだけの気概が必要だと言ってもいいかもしれません。金原さんの域にまでいきなり達するのはむずかしいにせよ、翻訳学習者がこれからどんな勉強をしていけばよいかの指針は、このインタビューではっきり示されていると思います。 

 3年近く前になりますが、わたしもこの記事で企画持ちこみについて書きました(だから今回のタイトルに「その2」と入れています)。基本的な内容は金原さんのインタビューと同じ方向のもので、成功した例(わたし自身の話ではありませんが)をひとつ採りあげているので、合わせて参考にしてください。 

  「その1」にあたる記事の最後に「企画持ちこみというのは、仮に成功しなくても別の効用があって、そちらのほうがむしろ大きいと考えていますが、それについては後日また」と書いたままにしてあるので、少しだけですが、つづきを書いてみます。 

 もちろん、持ちこみ企画がそのまま採用されればそれに越したことはないのですが、わたしの場合は、持ちこみをつづけたりどんな作品が好きかを言いつづけたりすることによって、仮にその企画自体が成功しなかったにしても、自分の好みの作品を出版社からまかされる可能性が高まる、というつもりできょうまでやってきました。 

 たとえば、駆け出しの当時は多くの編集者を知っているわけではなかったので、金原さんのインタビューにある「この編集者なら出してくれるかな、という当たりをつける」ということはむずかしかったのですが、それでも何人かには企画を持ちこんだり何度も好みを伝えたりしています。そのころ推していた作品は結局刊行されませんでしたが、直後に類似の作品の仕事がまわってきたり、編集者が他社へ移籍したときに自分の好みの作品をまわしてくれたりという例はいくつもあり、そうやって何年かかけて仕事の幅をひろげてきました。 

 その後は時間に追われることが多く、特にエラリー・クイーンの新訳を担当していた時期は、新しい作家・作品を追いかける暇があまりなかったのですが、去年の夏に一段落して、少しずつ新企画を出版社に持ちこんだりしています。それらはまだ実を結んでいませんが、今回もやはり、その過程のなかで類書の翻訳を依頼されています。第8回ミニイベントの際の田内志文さんのメッセージにも通じるものがありますが、みずから動くことで、翻訳出版全体を盛りあげることができ、そのうえ、自分自身にも仕事がまわってきやすくなるというのはまちがいありません。 

 翻訳技術を磨くことはもちろん大事で、その土台をおろそかにはできないのですが(金原さんのインタビューも後半はそういう趣旨になっています)、受け身の勉強をするだけでただ待っているだけの人のところに仕事が来ることがきわめてむずかしい時代になっていることはたしかです。 

 ところで、その金原瑞人さんと三辺律子さんのトークイベントをもう一度開催することになりました。今回はさらにもうひとりゲストをお招きして、わたしは司会役にまわる予定です。テーマは海外のファンタジー作品について。詳細は来月にでもお知らせしますが、興味のある人は5月21日(土)の夜をあけておいてください。

2015年12月 8日 (火)

ダウンロード可能なファイルと調べ物用リンク

 今月にはいってから、このブログを新たに見てくださっている人が増えています。 

 そこで、翻訳の仕事や勉強に役立つかもしれないファイルをダウンロードできる記事へのリンクを、まとめて紹介しておきます。 

文芸翻訳入門 

「ことばの魔術師 翻訳家・東江一紀の世界」配布冊子 

『英和翻訳基本辞典』インデックス 【かならず本体(宮脇孝雄著、研究社)をご購入のうえお使いください】 

数学基本用語集 

 どれもご自由にダウンロードをどうぞ。 

 また、2年余り前に作った調べ物用リンク集も紹介します。

調べ物用リンク集(1)

 あれこれに活用してください。

2014年10月 9日 (木)

地の文が現在形である場合

 10年ほど前、わたしが主催する出版翻訳者用のクローズド掲示版があり、そこに40人ぐらいの翻訳者(一部、編集者や書評家)が参加していました。あまり頻繁に発言があったわけではありませんが、同業者の集まる場だからこそ、興味深い翻訳談義になることもしばしばあったものです。

 mixiやほかのSNSが広く使われるようになったこともあって、この掲示版は3年程度で閉鎖となりましたが、いま読み返してみると、資料価値のありそうなスレッドがいくつかあります。そこで、その一部を公開することにしました。原則として、越前以外の発言者は名前を伏せてあります(発言者が特定されそうな作品名も)。また、リンク切れなどの関係で、省略や最低限の加筆をした個所もあります。

 以下は、2006年10月におこなわれた、10人余りの翻訳者による「小説の地の文が現在形である場合」についてのやりとりです。9年前のことなので、それ以降の作品に関する言及はありませんが、いまでもじゅうぶん参考になるので、興味のあるかたは読んでみてください。

――――――――― 

【越前】
 ゆえあって、全編を通して現在形で語られる小説の例を探しています。もちろん、回想の場面などで過去形になるのはかまいません。いますぐ思いつくのは
        ドン・ウィンズロウ『ボビーZの気怠く優雅な人生』
        ボストン・テラン『神は銃弾』
        ウィリアム・トレヴァー "Death in Summer"(未訳)
  ぐらいです。なるべくたくさん集めたいので、ほかに知っているかた、教えてください。ジャンルや知名度は問いません。

 

【A】
 デイビッド・ローゼンフェルトの『悪徳警官はくたばらない』がほぼ全編現在形です(ちょうど資料として参考にさせていただいていたところだったので原書でも確認ずみです)。シリーズ1作目の『弁護士は奇策で勝負する』はいますぐ確認はできないのですが同じく現在形だったはずです。ほかに思い出したらまた書きます。

 

【B】
  ジュンパ・ラヒリの『その名にちなんで』は、回想シーン以外、ほぼ現在形で語られています。あと、手元にはないのですが、バリー・ユアグローの短編集も現在形だったような。『憑かれた旅人』と『一人の男が飛行機から飛び降りる』を読んだことがあります。

 

【C】
 主に1980年代に活躍した「ミニマリスト」と呼ばれるアメリカ人作家は、ほとんどが現在形で書いています。Ann Beattie、Bobie Ann Mason、Jayne Ann Phillips、Raymond Carver、Frederick Barthelme、Minotなどが代表です。現在形で語られる小説・短編は、この人たちがはじめたとされます。どこかの大学の創作科とつながりが深いとか。
『ニューヨーカー』で短編を発表している人も多いので、THE COMPLETE NEW YORKERをおもちでしたら、ごろごろ出てきます。最近では『ニューヨーカー』に載っている短編の多くが現在形で語られていると思います。

 

【越前】
 みなさん、ありがとうございます。
  Cさんのその話、以前どこかで聞いた覚えがある。
 そうそう、スコット・トゥローもそうだった。
 ほかにも思いつく人、教えてください。 

 

【D】
  同じミニマリスト、ジェイ・マキナニーのBright Lights, Big Cityは二人称現在形?

 

【E】
  いま、本がどこにあるかわからなくて、確認できませんが、
  ↑マキナニーの『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』はたしかそうです。
  あと、オースター『幽霊たち』も全編現在形だったような。

 

【F】
  手元にないので確証はないですが、現在形の短編(→『●●●』の一編)を訳すにあたり●●●さんに相談したところ、『悪童日誌』は原文も日本語訳も現在形だよ、と教えられた気がします。(っていうかぁ、そう教えてくれたのは、越前さんじゃないですよね? 記憶混濁)あと、もう一つ、同作品内に現在形の短編があった(訳文は現在形でなくしたらしい)と聞いてます。
 あと知名度のないところで、
「The Ring of Brightest Angels Around Heaven: A Novella and Stories」by Rick Moody
  頭の部分しか読んでないですが、すくなくとも最初のストーリーは現在形だったと思います。

 

【G】(編集者)
>『悪童日誌』
 もしかしてもしかして『悪童日記』だとしたら原文は仏語ですね。
 現在形の小説の編集をしたことはありますが、現在形で通すとあまりにも不自然で、いろいろとなおしてもらったような記憶が・・・(作品名が思い出せなくてごめん)。
  納得できる仕上がりにするのはむずかしい作業ですよね。できあがったら読ませてね~。

 

【H】
  ミッシェル・フェイバーの短編集〝The Fahrenheit Twins〟には、いくつか現在形の短編が入っています。
  一冊目の短編集にもあったような気がするのですが、ごめんなさい、本が見つかりません。

 

【I】
 スティーヴ・マルティニの『情況証拠』が全編現在形だったと思います。シリーズもので、このあと、『重要証人』『依頼なき弁護』『裁かれる判事』とつづきますが、2作目以降は読んでいないのでわかりません……。
 それから、グレッグ・アイルズの『戦慄の眠り』の原書、 "DEAD SLEEP" は全編が現在形です。翻訳ではあえてそれを無視していますが。

 

【越前】
 みなさん、ありがとうございました。エンタテインメントでもこんなに多いというのはちょっと驚きです。
 最近出た拙訳書も全編一人称の現在形だったのですが、やはり訳していてほんとうにこの処理でよいのかどうか、最後まで迷いました。英語の場合はたいてい動詞が文の前半に来るけれど、日本語はほとんど文末に来るので、単に現在形を現在形のまま訳しても同じ効果は得られないのではないか、という疑問をかかえたままやっていたわけです。
   訳文の文末にやたらと「る」が多くなるわけで、うまく流れているときは韻を踏むように感じられるけど、乗らないときはひどく単調に感じられる。過去形が基調になっている小説では、主語を省略した現在形の文を差しはさむことで、自然と変化がつくわけだけど、今回はふだん使っている技の半分ぐらいを封じられたような窮屈な感じを覚えていました。一人称小説だからどうにか押しきったけれど、三人称だとお手あげだったかも。
  そう言えば、ジェフリー・ディーヴァーの『死の教訓』(三人称多視点)をやったときも、ある人物の視点で書かれているパートだけが現在形だったけれど、作者の意図がよくわからなかったのと、そこだけ日本語の現在形にしても無意味に浮くだけだと思ったので、無視しました(全編を通して10ページぶんぐらいだったと思う)。でも、どこでそういった線引きをするのか、訳者の独断でやっていいのかということは、いまも迷いつづけています。

 

【C】
  大学のときの先生がそこらへんを研究して学会に発表したことがあるとかで、ぼくもちょこっと教わりました。
 それで、その大学の先生によると、ジャーナリズムと映画(脚本?)の影響が大きいのではないかとのことでした。キャラクターの個性ではなく、ストーリーの設定で読ませることが多いアメリカの小説では、脚本的ないいまわしでもさほど違和感は感じられないし、ふつうの会話でも、最初のほうは過去形なのに、興が乗ってくると自然に現在形を使って話を進める事例が多く見られるそうです。
  地の文で過去形が数ヶ所だけ使われていた作品では、はっきりと作者の意図が感じられ、おそらく「歴史的現在」(historical present)の裏返しの意味合いで使っているのだろうとのことでした。
 ぼくも現在形で語られる作品をふたつ訳しましたが、そういった作者の意図は感じられませんでした。過去形が現在形になっていただけだったので、ふつうに過去形で訳しました。
  ただ、今後、そういう時制を使った「トリック」が込められている作品を訳す場合には、基本的に過去形を使って訳し、「歴史的現在」の裏返しで使われていると思われる原文の過去形だけを現在形で訳そうとは思っています。

 

【J】
 遅ればせながら……。
 ウィンズロウだと、『カリフォルニアの炎』も現在形です。
 フランス1950年代の“前衛的な”小説、いわゆるヌーヴォー・ロマンにも、現在形で書かれたものが多いようです。手もとにあるものだと、ミュシェル・ビュトール『心変わり』、マンディアルグ『オートバイ』、デュラス『夏の夜の10時半』など。『夏の夜の10時半』は、現在形が生きた美しい小説だと思います。日本の小説ですが、村上春樹の『アフターダーク』は、視点と現在形をうまくとりこんだ実験小説だと思って読みました。
 わたしも現在形にはご縁があります。デビュー作だった『●●●』は現在形が基調。『●●●』も、第2部からは現在形と過去形が章ごとに入れ替わります。同じ著者で今月末刊行の『●●●』、原著は現在形でしたが、過去形で訳しました。回想に変わる箇所を原文よりもややくっきりと訳しましたが、あとはわりとすんなりといきました。原著の時制に逆らったのは、はじめて。わたしとしては、原著の時制にはなるべく添いたいたいとは思うのですが、この小説の場合、過去形にしてストーリーテリングに徹したほうがおもしろくなるはずと判断したのです。ううん、どうなのかな。なんとなくあとに引きずるのですが。  

 

【F】
>Gさん
>『悪童日誌』 もしかしてもしかして『悪童日記』だとしたら原文は仏語ですね。
 そうです! ご指摘ありがとうございます。なぜか、いつも『日誌』と言ってしまうんです。
  ちなみにわたしの現在形短編は、年末に出版された『●●●』のなかの「●●●」という短編ですが、いまパラパラ見てみると、他にもS・キングの作品をはじめ、けっこう現在形のものがありました。
 あと、日本人の作家では古川日出男が、現在形を使いこなしますね。新作の『サウンドトラック』でも、平均して八割ほどは現在形の語尾に見えます。『神は銃弾』を硬質にして叩き割ったような印象の文です。

 

【K】
 僭越ながら、十一月末刊行予定の拙訳書も現在形です。"●●●"というサスペンス風ヤングアダルト小説で、基調は現在形、回想は過去形です。内容は重めでも全体の調子は軽め、というこの作品の雰囲気に現在形がひと役かっているので、最初に原書に目をとおしたとき、原文のままの時制で訳そうと決めました。何箇所か無視したところはありますが。
 現在形で訳すのはとてもとても楽しかったのですが、訳しているときにやはりみょうな緊張感を持っていたようで、過去形のところに出るとほっとしました。

2014年4月11日 (金)

訳文作りのメモ

 訳文を作る際に何を心がけるべきかについては、『日本人なら必ず悪訳する英文』や近日公開の〈文芸翻訳入門〉にこれまであれこれ書いてきましたが、かつて翻訳学校の上級クラスで教えていたころには、もう少しくわしいメモを配付していました。自分の好みにすぎないことや、あまりにも細かい具体例も多く書いてあるため、すべての内容を公開することはできませんが、いくつかの事項はあえて秘匿する必要もないので、きょうは7つだけ紹介します。

 ここに列記したことは、私見ではあるものの、小説の翻訳をするにあたっての重要なルールだと信じています。

―――――――

・「?」「!」は、どうしても必要なとき以外はつけない。

・「~くる」「~いく」「~もらう」「~くれる」「~あげる」「~しまう」「~こむ」などは、主語の省略、人物関係の明確化、事実の強調などのために有効だが、むやみに使うと文章が間延びして安っぽくなる。不要な場合はいっさい使わない、ぐらいの姿勢がちょうどいい。

・「彼」「彼女」などを使わないために人名に置き換えるのはひとつの手だが、そればかりやっていても、カタカナだらけでもっと読みづらくなるだけで、本質的な解決にならない。「彼」「彼女」の最大の問題は、主格や目的格を不可欠とする英語の文体をそのまま残した生硬さを感じさせてしまうことであり、日本語本来の文体を心がけて訳せば、わざわざ人名に置き換えなくても、ほとんどの「彼」「彼女」はほうっておいても自然に消えるはず。

・「~に行く」と「~へ行く」について、本来正しいのは「~へ行く」。もちろん現代語では「~に行く」を使う場面があってもいいが、「へ」は未来のこと、「に」は過去のことを語る場合になじみやすい。また、ただでさえ、「に」はいろいろな意味や用法で使われるので、連発にはつねに気づかうべき(「三時にいっしょにロンドンに行く」など)。「向かう」「渡る」「もどる」「帰る」などの動詞についても同様。

・擬声語、擬態語などは、原文が明らかにそういうニュアンスの場合やどうしても避けられない場合以外は使わないこと。使いすぎると安っぽく幼稚な文になる。

・原文が比喩ではないのに訳文が比喩というのは、原則として避けるべき(日本語の言いまわしが、ひとつの不可分な慣用句になっている場合を除く)。

・訳注は、もちろん、つけないのがベスト。ただし、訳文に説明を織りこむことで、かえって不自然になるとき(特に台詞のなかの場合)は、訳注を入れる以上に見苦しく読みづらく興醒め。それをよく考えること。

2014年1月10日 (金)

「大機構」について

 ダン・ブラウンの『インフェルノ』が刊行されて1か月半近くが経ち、すでにお読みになったかたも多いと思うので、きょうは『インフェルノ』の訳語についての話を少々。

 これまで、ダン・ブラウンの作品では、組織名や役職名をどう訳すかで迷ったことが何度かありました。定訳がある場合は問題ありませんが、2種類ある場合や、まったくない場合も多く、そのつど、味わいや重み、わかりやすさや読者層など、諸要素を考慮しながら、いくつかの訳語を秤にかけてきたものです。

 過去にいちばん迷ったのは、『ダ・ヴィンチ・コード』の「導師」だったと思います。これは事件の黒幕とも呼ぶべき重要人物ですが、原語は Teacher でした。当時の翻訳のクラスでは、ほとんどの生徒が「教師」か「先生」と訳してきましたが、この語は地の文と呼びかけの両方で何度も登場することもあり、もっと強烈な印象を残す訳語を選ぶべきです。Teacher が大文字ではじまっていることを生かさなくてはいけない、という言い方もできるでしょう。こういうときは、単語レベルで考えるのではなく、作品全体のなかでどんな位置にあり、どんな役割を持った人物であるかまでを判断材料にする必要があります。最終的に「導師」という訳語に決めるまでには、たしか1か月以上かかりました。

 それに劣らず、いや、たぶんそれ以上に迷ったのが、今回の『インフェルノ』に登場する謎の組織「大機構」でした。いちおう本文の最初に、名称は変えてあるが実在すると書いてはあるものの、これは架空の組織と考えて差し支えがありません。

 この「大機構」ですが、原語は the Consortium です。辞書を引くと、組合、協会、共同体、合弁企業などの訳語が出ています。カタカナの「コンソーシアム」というのは、まだおそらくほとんどの人にとってあまりなじみのないことばでしょうが、大学や研究団体などの連合体などの意味に使われるケースが多いようです。最近だと、電子書籍コンソーシアムという名前を何度か耳にしました。

 今回も訳出期間中に翻訳のクラスでこの作品を教材にしたところ、約半数の生徒が辞書どおりに「協会」「共同体」「連合」などと訳し、残りの半数は「コンソーシアム」でした。実を言うと、わたし自身もその時期はどの訳語で行くべきか判断しかねていて、生徒の訳のなかでよさそうなものを採用しようと考えていました。

 しかし、「協会」「共同体」「連合」では、あまりに抽象的であり、また、「教師」「先生」と同じで読者の印象に残りません。また、「コンソーシアム」は、得体が知れないと言えばそうですが、洗練された感じやアカデミックな響きがあり、この組織の持つ妙ないかがわしさに合っていません。

 未読の人にはわかりづらいかもしれませんが、この the Consortium というのは、なんだかわけがわからないものの、大規模な陰謀を請け負う秘密結社めいた組織です。そして、後半になると、見かけとはまったくちがう意外な(そしてあまりにも異様な)実態が明らかになるわけですが、訳語はその見かけと実態の両方を反映していなくてはなりません。そのためには、「公」なのか「私」なのか見当がつかない、どっちつかずで仰々しい響きが必要です。

 わたし自身は、この『インフェルノ』という作品には、スピード感と蘊蓄のバランスのよいスリラーとしてだけでなく、いわゆる「バカミス」としてのおもしろさがあると考えています。そのあたりについては、「インフェルノへの道(その1)」の後半の記述や、「書評七福神の十一月度ベスト発表!」の千街晶之さんの文章を参考になさってください。そして、この作品の魅力を最大限に伝えるためには、the Consortium に極端なまでに大仰な訳語を与える必要があると思いました。冗談ではなく、「死ね死ね団」などという訳語も一瞬脳裏をよぎったほどです。

 最終的には、ひとりの生徒が「機構」という訳語を選んできたのを手がかりとして、それに「大」をつけました。「機構」は字画数が多く、「協会」などに比べてずっと事々しい響きがあるので、かなりよいと感じましたが、それではこの作品の「陰の主役」の名としては物足りなかったので、「大」で駄目押しの一撃を加えたしだいです。

『インフェルノ』はすでに映画化が決まっていて、2015年12月に公開される予定です。「大機構」がどんなふうに描かれるのか、いまから楽しみです。

【2016年10月追記】

 その後、製作が少し遅れ、映画〈インフェルノ〉は2016年10月28日に公開されることになりました。公式サイトはここ。〈ダ・ヴィンチ・コード〉〈天使と悪魔〉につづいて、今回も翻訳のお手伝いをさせていただきましたが、映画作品は原作の換骨奪胎のしかたが徐々に進化している気がします。ぜひお楽しみください。

 この記事に興味をお持ちになったかたは、わたしの著書『翻訳百景』に「『ダ・ヴィンチ・コード』『インフェルノ』翻訳秘話」という50ページ余りの章があって、そこにさらにくわしく書いたので、ぜひご一読ください。

2013年10月 1日 (火)

死語の世界

 5年ほど前、いくつかの講演会で「死語の世界」というちょっとした余興をおこなったことがあります。いまの時代に使うのがちょっとためらわれるかもしれないことばを30個選び、それぞれについて、自分が死語だと思うかどうかをアンケートに答えてもらうというものです。アンケートは事前に実施し、死語と見なす人が多いほうから順に、1位から30位までを当日に発表しました。

 もちろん、ことばの受け止め方は人それぞれですから、死語をたくさん使っている人がいたとしても、そのことをとやかく言うつもりはありません。ただ、ことばを扱う仕事に携わる者としては、どの程度の人がその語を古いと思っているかを知っておくのも悪くないでしょう。

 最終的に、講演会でこのアンケートに答えてくれた人は350人ほどいらっしゃいました。内訳は、翻訳学校の生徒約70人、文学部の大学生約150人、中央官庁におつとめのかた約100人、中学・高校の先生約30人程度だったと思います。性別は半々か、やや女性のほうが多いぐらいです。

 そのときの30語は以下のとおりです。

(1)  背広
(2)  雨合羽
(3)  襟巻き
(4)  首飾り
(5)  チョッキ
(6)  シュミーズ
(7)  コールテン
(8)  便所
(9)  台所
(10) 鏡台
(11) ちり紙
(12) 乳母車
(13) 郵便受け
(14) 月賦
(15) 目方
(16) ねずみ色
(17) 行楽地
(18) 別嬪
(19) 美男子
(20) クーラー (「エアコン」の意)
(21) ステレオ (「オーディオ機器」の意)
(22) フランスパン
(23) 大リーグ
(24) よしんば
(25) いましがた
(26) すこぶる
(27) いかす (「かっこいい」の意)
(28) オーバーだ
(29) アバウトな
(30) セーフ・アウト (野球以外で)

 回答は、各語について「○――ぜったい死語!」「△――状況による」「×――生きていると思う」の3つのうちのどれかにマークする形で提出してもらいました。

 みなさんも、よかったらまず○△×で答えてみてください。そして、どの語の死語認定率がいちばん高かったか、いちばん低かったかなどを予想するとおもしろいかもしれません。

 実は、死語と見なされた率が断トツで1位の語があります。どれだと思いますか?

 結果はこちらです。予想はあたりましたか?

  「obsoletism1.pdf」をダウンロード

 10月24日の第7回翻訳百景ミニイベントでは、参加者全員のかたに、これとは別の30問に答えていただき、後日このブログに結果を載せる予定です。

【10月3日追記】

 念のため書きますが、この記事の目的は、率が高いことばを使うべきではないとか、古いことばをどんどん切り捨てようとかいうことではありません。状況や文脈によっては、いまでもふさわしい場面も当然あると思います。自分にとっても、だれがなんと言おうと使いつづけたいことばがいくつかあります。

 2段落目にも書いたように、この結果は、それぞれの語が最近どのように受け止められているかを大ざっぱに知るための一助にしていただければ幸いです。それ以上の意図はありません。

2013年9月17日 (火)

数学基本用語集

 翻訳の仕事をはじめる前、わたしは留学予備校で講師やカウンセラーの仕事を10年ほどしていました。カウンセラーとしてエッセイなどの作成指導をしたり、TOEFLなどの reading section を教えたりという時期もありましたが、最も長く教えていたのは GMAT、GRE、SAT などのテストの quantitative section、つまり数学です。翻訳の仕事がメインになってからもしばらくつづけ、2004年、その予備校の解散とともに、自分もその仕事から手を引くことになりました。ちょうど『ダ・ヴィンチ・コード』が出た年のことです。

 先日、部屋の整理をしていたら、そのころに作った数学用語集が出てきました。当時のクラスで、生徒全員に配付したものです。予備校が解散してずいぶん経ち、公開することになんの問題もないので、ここに掲載することにします。どなたでもご自由にダウンロードしてください。エクセル版とPDF版があります。必要であればテキストや諸形式に変換してお使いください。

   「math_terms.xls」をダウンロード

   「math_terms.pdf」をダウンロード

 これは GMAT、GRE、SAT などの数学(日本の中学の範囲+α)を解くことに特化した用語集なので、たとえば微積分など、高校以上で扱う用語ははいっていません。経済・商売などの用語についても同様です。したがって、このジャンルを専門とする翻訳者のかたなどにとっては不十分なものなので、あらかじめご了承ください。そういう人にとっては、基本知識の確認程度の意味しかないかもしれません。

 むしろ、これが有効なのは、上記のテストの受験者をはじめ、これから英語圏への長期留学を考えている人たちです。そういうかたをご存じであれば、ぜひ転送するなどしてあげてください。

 

2013年6月12日 (水)

シャベルとスコップと紙ばさみ

 2か月ほど前にツイッターにも書きましたが、「シャベル」と「スコップ」ということばを、みなさんはどう使い分けているでしょうか。

 Wikipedia には、「西日本では大型のものをシャベル、小型のものをスコップと呼ぶ。逆におもに東日本では大型のものをスコップ、小型のものをシャベルと呼ぶ人が多い」と書かれています。『大辞林』の両語の説明にも、それと似た記述があります。

 実のところどうなのかと思って、ツイッターで質問してみたところ、50人ほどのかたがリプライをくださったのですが、やはり8割か9割程度に関して、上の説明どおりでした。東と西のどちらが正しいということではなく、そういう傾向があることはまちがいないようです。

 わたし自身について言えば、ぎりぎり西日本の金沢市で生まれたものの、6歳で東京に移り住んだので、言語感覚はほぼ東京人と同じだと思います。ですから、子供のころの感覚では、シャベルが小さいもの、スコップが大きいものと認識していた気がします。

 ただ、何歳ぐらいからかは覚えていませんが、ある時期から「シャベルは先がとがっているもの、スコップは先が平たいものやまるいもの」と識別するようになりました。これはたぶん、shove(突く)とscoop(すくう)の語感のせいでしょう。ちょっと調べてみたところ、こんなサイトが見つかりました。これによると、JIS規格ではシャベルのほうがとがったものとなっています。

 もちろん、だからと言って、それだけが正解だと主張するつもりはありません。ツイッターでも、一部の人が形状で使い分けるとおっしゃっていましたが、わたしの感覚と同じ人もいれば、正反対の人もいました。これについては、住んでいる地域は関係ありません。

 翻訳の仕事をする者としては、さまざまな受け止め方があることを知ったうえで、原文が shovel ならシャベルと訳す、というスタンスでいるしかなさそうです。

 そう言えば、1年半ほど前になりますが、やはりツイッターで「紙ばさみ」という語についてわたしが質問し、多くの人からリプライをもらって大変参考になったことがありました。絵に関する portfolio という語の訳語として、ほとんどの辞書が「紙ばさみ」という語を載せているのですが、それで意味がわかる読者がどのくらいいるのかが気になって、尋ねてみたしだいです。

 そのときのやりとりはここにまとまっています。かなり長いのですが、興味のあるかたはざっとながめてみてください。

 これは『解錠師』を訳していたときのことで、portfolio という語が何度も出てくるのですが、このときのツイッターでのやりとりを参考にして、portfolio は「紙ばさみ」ではなく「フォルダー」と訳しました。

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