10年ほど前、わたしが主催する出版翻訳者用のクローズド掲示版があり、そこに40人ぐらいの翻訳者(一部、編集者や書評家)が参加していました。あまり頻繁に発言があったわけではありませんが、同業者の集まる場だからこそ、興味深い翻訳談義になることもしばしばあったものです。
mixiやほかのSNSが広く使われるようになったこともあって、この掲示版は3年程度で閉鎖となりましたが、いま読み返してみると、資料価値のありそうなスレッドがいくつかあります。そこで、その一部を公開することにしました。原則として、越前以外の発言者は名前を伏せてあります(発言者が特定されそうな作品名も)。また、リンク切れなどの関係で、省略や最低限の加筆をした個所もあります。
以下は、2006年10月におこなわれた、10人余りの翻訳者による「小説の地の文が現在形である場合」についてのやりとりです。9年前のことなので、それ以降の作品に関する言及はありませんが、いまでもじゅうぶん参考になるので、興味のあるかたは読んでみてください。
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【越前】
ゆえあって、全編を通して現在形で語られる小説の例を探しています。もちろん、回想の場面などで過去形になるのはかまいません。いますぐ思いつくのは
ドン・ウィンズロウ『ボビーZの気怠く優雅な人生』
ボストン・テラン『神は銃弾』
ウィリアム・トレヴァー "Death in Summer"(未訳)
ぐらいです。なるべくたくさん集めたいので、ほかに知っているかた、教えてください。ジャンルや知名度は問いません。
【A】
デイビッド・ローゼンフェルトの『悪徳警官はくたばらない』がほぼ全編現在形です(ちょうど資料として参考にさせていただいていたところだったので原書でも確認ずみです)。シリーズ1作目の『弁護士は奇策で勝負する』はいますぐ確認はできないのですが同じく現在形だったはずです。ほかに思い出したらまた書きます。
【B】
ジュンパ・ラヒリの『その名にちなんで』は、回想シーン以外、ほぼ現在形で語られています。あと、手元にはないのですが、バリー・ユアグローの短編集も現在形だったような。『憑かれた旅人』と『一人の男が飛行機から飛び降りる』を読んだことがあります。
【C】
主に1980年代に活躍した「ミニマリスト」と呼ばれるアメリカ人作家は、ほとんどが現在形で書いています。Ann Beattie、Bobie Ann Mason、Jayne Ann Phillips、Raymond Carver、Frederick Barthelme、Minotなどが代表です。現在形で語られる小説・短編は、この人たちがはじめたとされます。どこかの大学の創作科とつながりが深いとか。
『ニューヨーカー』で短編を発表している人も多いので、THE COMPLETE NEW YORKERをおもちでしたら、ごろごろ出てきます。最近では『ニューヨーカー』に載っている短編の多くが現在形で語られていると思います。
【越前】
みなさん、ありがとうございます。
Cさんのその話、以前どこかで聞いた覚えがある。
そうそう、スコット・トゥローもそうだった。
ほかにも思いつく人、教えてください。
【D】
同じミニマリスト、ジェイ・マキナニーのBright Lights, Big Cityは二人称現在形?
【E】
いま、本がどこにあるかわからなくて、確認できませんが、
↑マキナニーの『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』はたしかそうです。
あと、オースター『幽霊たち』も全編現在形だったような。
【F】
手元にないので確証はないですが、現在形の短編(→『●●●』の一編)を訳すにあたり●●●さんに相談したところ、『悪童日誌』は原文も日本語訳も現在形だよ、と教えられた気がします。(っていうかぁ、そう教えてくれたのは、越前さんじゃないですよね? 記憶混濁)あと、もう一つ、同作品内に現在形の短編があった(訳文は現在形でなくしたらしい)と聞いてます。
あと知名度のないところで、
「The Ring of Brightest Angels Around Heaven: A Novella and Stories」by Rick Moody
頭の部分しか読んでないですが、すくなくとも最初のストーリーは現在形だったと思います。
【G】(編集者)
>『悪童日誌』
もしかしてもしかして『悪童日記』だとしたら原文は仏語ですね。
現在形の小説の編集をしたことはありますが、現在形で通すとあまりにも不自然で、いろいろとなおしてもらったような記憶が・・・(作品名が思い出せなくてごめん)。
納得できる仕上がりにするのはむずかしい作業ですよね。できあがったら読ませてね~。
【H】
ミッシェル・フェイバーの短編集〝The Fahrenheit Twins〟には、いくつか現在形の短編が入っています。
一冊目の短編集にもあったような気がするのですが、ごめんなさい、本が見つかりません。
【I】
スティーヴ・マルティニの『情況証拠』が全編現在形だったと思います。シリーズもので、このあと、『重要証人』『依頼なき弁護』『裁かれる判事』とつづきますが、2作目以降は読んでいないのでわかりません……。
それから、グレッグ・アイルズの『戦慄の眠り』の原書、 "DEAD SLEEP" は全編が現在形です。翻訳ではあえてそれを無視していますが。
【越前】
みなさん、ありがとうございました。エンタテインメントでもこんなに多いというのはちょっと驚きです。
最近出た拙訳書も全編一人称の現在形だったのですが、やはり訳していてほんとうにこの処理でよいのかどうか、最後まで迷いました。英語の場合はたいてい動詞が文の前半に来るけれど、日本語はほとんど文末に来るので、単に現在形を現在形のまま訳しても同じ効果は得られないのではないか、という疑問をかかえたままやっていたわけです。
訳文の文末にやたらと「る」が多くなるわけで、うまく流れているときは韻を踏むように感じられるけど、乗らないときはひどく単調に感じられる。過去形が基調になっている小説では、主語を省略した現在形の文を差しはさむことで、自然と変化がつくわけだけど、今回はふだん使っている技の半分ぐらいを封じられたような窮屈な感じを覚えていました。一人称小説だからどうにか押しきったけれど、三人称だとお手あげだったかも。
そう言えば、ジェフリー・ディーヴァーの『死の教訓』(三人称多視点)をやったときも、ある人物の視点で書かれているパートだけが現在形だったけれど、作者の意図がよくわからなかったのと、そこだけ日本語の現在形にしても無意味に浮くだけだと思ったので、無視しました(全編を通して10ページぶんぐらいだったと思う)。でも、どこでそういった線引きをするのか、訳者の独断でやっていいのかということは、いまも迷いつづけています。
【C】
大学のときの先生がそこらへんを研究して学会に発表したことがあるとかで、ぼくもちょこっと教わりました。
それで、その大学の先生によると、ジャーナリズムと映画(脚本?)の影響が大きいのではないかとのことでした。キャラクターの個性ではなく、ストーリーの設定で読ませることが多いアメリカの小説では、脚本的ないいまわしでもさほど違和感は感じられないし、ふつうの会話でも、最初のほうは過去形なのに、興が乗ってくると自然に現在形を使って話を進める事例が多く見られるそうです。
地の文で過去形が数ヶ所だけ使われていた作品では、はっきりと作者の意図が感じられ、おそらく「歴史的現在」(historical present)の裏返しの意味合いで使っているのだろうとのことでした。
ぼくも現在形で語られる作品をふたつ訳しましたが、そういった作者の意図は感じられませんでした。過去形が現在形になっていただけだったので、ふつうに過去形で訳しました。
ただ、今後、そういう時制を使った「トリック」が込められている作品を訳す場合には、基本的に過去形を使って訳し、「歴史的現在」の裏返しで使われていると思われる原文の過去形だけを現在形で訳そうとは思っています。
【J】
遅ればせながら……。
ウィンズロウだと、『カリフォルニアの炎』も現在形です。
フランス1950年代の“前衛的な”小説、いわゆるヌーヴォー・ロマンにも、現在形で書かれたものが多いようです。手もとにあるものだと、ミュシェル・ビュトール『心変わり』、マンディアルグ『オートバイ』、デュラス『夏の夜の10時半』など。『夏の夜の10時半』は、現在形が生きた美しい小説だと思います。日本の小説ですが、村上春樹の『アフターダーク』は、視点と現在形をうまくとりこんだ実験小説だと思って読みました。
わたしも現在形にはご縁があります。デビュー作だった『●●●』は現在形が基調。『●●●』も、第2部からは現在形と過去形が章ごとに入れ替わります。同じ著者で今月末刊行の『●●●』、原著は現在形でしたが、過去形で訳しました。回想に変わる箇所を原文よりもややくっきりと訳しましたが、あとはわりとすんなりといきました。原著の時制に逆らったのは、はじめて。わたしとしては、原著の時制にはなるべく添いたいたいとは思うのですが、この小説の場合、過去形にしてストーリーテリングに徹したほうがおもしろくなるはずと判断したのです。ううん、どうなのかな。なんとなくあとに引きずるのですが。
【F】
>Gさん
>『悪童日誌』 もしかしてもしかして『悪童日記』だとしたら原文は仏語ですね。
そうです! ご指摘ありがとうございます。なぜか、いつも『日誌』と言ってしまうんです。
ちなみにわたしの現在形短編は、年末に出版された『●●●』のなかの「●●●」という短編ですが、いまパラパラ見てみると、他にもS・キングの作品をはじめ、けっこう現在形のものがありました。
あと、日本人の作家では古川日出男が、現在形を使いこなしますね。新作の『サウンドトラック』でも、平均して八割ほどは現在形の語尾に見えます。『神は銃弾』を硬質にして叩き割ったような印象の文です。
【K】
僭越ながら、十一月末刊行予定の拙訳書も現在形です。"●●●"というサスペンス風ヤングアダルト小説で、基調は現在形、回想は過去形です。内容は重めでも全体の調子は軽め、というこの作品の雰囲気に現在形がひと役かっているので、最初に原書に目をとおしたとき、原文のままの時制で訳そうと決めました。何箇所か無視したところはありますが。
現在形で訳すのはとてもとても楽しかったのですが、訳しているときにやはりみょうな緊張感を持っていたようで、過去形のところに出るとほっとしました。