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  • 越前敏弥
    文芸翻訳者。 いまのところ、更新は週1、2回程度です。 ご感想・お問い合わせなどは office.hyakkei@gmail.com へお願いします。
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2016年6月27日 (月)

映画「天使と悪魔」の紹介文&「インフェルノ」最新版トレイラー

 秋に映画〈インフェルノ〉が公開されることもあり、先日、映画〈ダ・ヴィンチ・コード〉と〈天使と悪魔〉のブルーレイを久しぶりに観ました。公開時にはそれぞれ翻訳の手伝いをしたこともあり、単純に楽しむことはなかなかむずかしかったのですが、ずいぶん経ったいま、特に〈天使と悪魔〉のほうは、あらためてよくできていると感じました。 

 公開当時(2009年)にパンフレットに書いた文章が残っていたので、この機会に紹介します(一部省略あり)。いま観ての感想もこれとだいたい同じです。 

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 ロン・ハワード監督による「天使と悪魔」の前作「フロストVSニクソン」は、実に巧みに緩急のつけられた佳作だった。ロン・ハワードの場合、代表作とされるのは今年のアカデミー賞候補になったこの「フロストVSニクソン」のほか、「アポロ13」や「ビューティフル・マインド」や「シンデレラマン」など、実話をベースとした作品が多い。その手の作品が成功するか否かは、実在人物の造形において、いかに「ふくらます」かにかかっていると言ってよいだろうが、前掲の作品はみな、それぞれの実像を浮かびあがらせるような架空のエピソードや台詞を効果的に挿入することによって、人物に深みを与えている。「フロストVSニクソン」では、インタビュー開始の数秒前にニクソンの漏らすひとことが実に人間くさく楽しかったものだ。
 原作や原案のある映画においては、「ふくらます」と「刈りこむ」の匙加減が重要になってくる。長編小説が原作である場合、刈りこみが必要な場面が当然ながら多いのだが、それがベストセラーであればあるほど、刈りこむのはむずかしい。原作の読者は作品の隅々にまで自分なりの愛着を強く持っているものなので、いかに巧みにまとめたとしてもなかなか納得しないからだ。長編のベストセラーで、原作と映画の双方がきわめて高い評価を得た例としては「ゴッドファーザー」と「フォレスト・ガンプ」と「羊たちの沈黙」くらいしか思いつかない。
「ダ・ヴィンチ・コード」や「天使と悪魔」など、ダン・ブラウンの小説は、短い章立てと目まぐるしいほどの場面転換を特徴としており、それ自体が映画的と評されることがよくあるため、一見映画化はたやすそうに思えるかもしれないが、事はそう簡単ではないだろう。この二作は、どちらも文庫で1,000ページ近い大長編であるにもかかわらず、物語のなかでは、冒頭から結末まででわずか半日ほどしか経過しない。これは異様なほど描写が濃密だからだが、それぞれの章に読者がページを繰る手が止まらなくなるような仕掛けがいくつも盛りこまれているので、読んでいてまったく飽きることがない。また、特にこのラングドン・シリーズにおいては、随所で語られる膨大な量の蘊蓄が並はずれておもしろいのだが、それらがストーリーの必然からかけ離れることなく、みごとに一体化していて、中途半端に読み飛ばすことができない。すさまじい勢いでページを繰らせながらも、一字一句漏らさず楽しませるという、本来なら相反することを実現できたことこそが、大ベストセラーとなった最大の理由だと言えよう。だとしたら、映像化にあたって、その単なるダイジェスト版にしてしまってはその魅力が半減する。
 映画「ダ・ヴィンチ・コード」では、簡潔な描写の巧みさに舌を巻いた個所が多かったものの、中盤に解き明かされる謎が物語の最大の山場となる一本調子の構造をそのまま踏襲したせいもあって、結果としてはダイジェスト版に近いものになったため、スピード感あふれるスリラーとしてはロン・ハワードの他作品に遜色のない出来だったが、原作の読者にとってはいくぶん食い足りず、未読の観客にとっては逆に消化不良になりかねない側面があったかもしれない。
 では、映画「天使と悪魔」はどうか。結論から言うと、今回は「ダ・ヴィンチ・コード」のときとちがって、原作に対して必要以上の忠義立てをせず、かなり大胆に逸脱した構成を選んだのが功を奏し、既読・未読のどちらの観客も満足できる傑作になったと思う。原作では3分の1以上を占めるセルンのエピソードを極端に縮め、原作の主要登場人物の半分近くを切り捨てるという今回の選択は、ずいぶん度胸の要るものだったにちがいないが、そのおかげで後半のヴァチカンと4人の枢機卿の話をたっぷり描くことができ、原作の持つ映画的構成のよさが最大限に引き出されたと言えるだろう。
 かつて、量産時代の日本映画では、大長編の原作であっても70分程度の枠のなかにおさめなくてはならないことが多かったため、原作の登場人物2、3人をまとめてひとりの人物に凝縮させるという作劇手法がよくとられたと聞くが、「天使と悪魔」を観て、ふとその話を思い出した。原作で重要な役どころを占めるセルンのコーラー所長、ヴィットリアの父レオナルド、ロシェ衛兵隊副隊長などは、映画には登場しないが、これらの人物の性格やエピソードは巧みにほかの人物に移植されている。
 また、原作でラングドンに「神を信じるか」と尋ねたのはヴィットリアだったのが、映画ではカメルレンゴになっているとか、〝崇拝の歓呼〟について言及したのがBBCのレポーターだったのが、映画では枢機卿たちになっているとか、細かい改変はいくつも見つかるが、いまとなっては、むしろ最適の場所にぴたりとピースがあてはまったように感じられる。まさに練りに練ったシナリオの勝利である。
 欲を言えばもう少しお色気がほしかった気もしなくはないが、ロン・ハワードはクリント・イーストウッドなどと並んで、過剰になりそうなぎりぎりのところで描写を抑制するセンスに長けた映画作家であり(ふたりが組んだ「チェンジリング」もまさにそんな作品だった)、タイムリミット・サスペンスを堪能するにはこういう処理でよかったのだろう。
  むろん、映画を観終わったあとで原作を読みたくなるという点では、「ダ・ヴィンチ・コード」も「天使と悪魔」も変わるまい。映画を補完するもの、解説するものとして原作を手にとってもらうことも可能だが、まったく独立した、別個の作品としてもじゅうぶん楽しんでいただけると信じている。
 

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 映画としてはラングドン・シリーズ第3弾にあたる〈インフェルノ〉は、今年の10月28日に日米同時公開されます。数日前に最新版のトレイラーが観られるようになりました。フルバージョンはこれです(字幕なし)。どうぞお楽しみに。

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