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  • 越前敏弥
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2012年3月 6日 (火)

「ヘルプ 心がつなぐストーリー」

 キャスリン・ストケットの『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(上下・栗原百代訳・集英社文庫)を読み、先週末に映画の試写を観てきました。

「ヘルプ」とは、白人家庭に奉仕する黒人女性のメイドのことです。物語の舞台は、公民権運動が盛りあがった1960年代の前半のミシシッピ州。ディープ・サウスのミシシッピ州では、今日では信じがたいほどの差別意識がまだかなりの数の白人のなかに存在していました。登場人物のひとりである白人女性は、黒人は特有の伝染病に冒されているにちがいないとか、よりよい社会を築くためにヘルプのトイレを白人居住者と別のものにすることを法制化すべきだ、といった発言を本気で連発します。

 この小説は、ふたりのヘルプ(エイビリーン、ミニー)と彼女たちに好意的な若い白人女性スキーター、3人の主人公の語りが順繰りに出てくる形で進められます。さんざんいやがらせを受け、不当に解雇された黒人女性たちがついに立ちあがり、スキーターの助力によって、ヘルプの現状を訴える1冊の本を世に出して一石を投じる――というと、重苦しい作品を想像してしまいがちですが、実際にはその正反対で、どんな窮境に陥ってもユーモアを失わない語り手たちの力強い生き方がみごとに描かれていて、一気に読ませます。それこそが、この作品が全米発行部数1,000万部超、各種ベストセラーに100週以上連続でランクイン、という驚異の記録を打ち立てた最大の理由だと思います。

 ただ、残念ながら、南部を描いた黒人女性ものというのは日本ではなかなかヒットしづらく、この作品も、本国では超弩級のベストセラーでありながら、なかなか日本では翻訳刊行されませんでした。正確ないきさつは知りませんが、映画の評判がよく、アカデミー賞の候補にもあがったということで、ようやく翻訳刊行にこぎ着けたと推察できます。

 アメリカでとてつもない大ベストセラーになった小説が日本ではかならずしもそうはならないという例は、今世紀にはいってからいくつもあります(『ダ・ヴィンチ・コード』はむしろ例外)。いま思いつくのは、アリス・シーボルドの『ラブリー・ボーン』、カーレド・ホッセイニの『君のためなら千回でも』、ミッチ・アルボムの『天国の五人』など。どれもアメリカでは何百万部も売れた「お化けベストセラー」だったのに、日本ではそれに比べてあまり話題になりませんでした。

 出版翻訳にかかわる者としては、まずこういう事態をどうにかしなくては、と思っています。もちろん、文化がちがうのだから、アメリカであたったものが日本でも売れるとはかぎらないのは当然です。でも、アメリカでは大きな社会現象を引き起こしたほどの作品を、地味だとか、ちょっとわかりにくいとか、身近な問題として考えにくいという理由だけで、日本人には受け入れられないと簡単にあきらめてしまっていいものなのか。だとしたら、われわれ翻訳者はなんのためにこの仕事をしているのか、とさえ言いたくなります。『ヘルプ』は、単に公民権運動の時代の歴史をわかりやすく知ることができるだけでなく、人間の心にひそむ差別の問題についてもあらためて考えさせるすぐれた作品です。ならば、1,000万部は無理としても、日本でも大きな話題になってしかるべきではないでしょうか。

 とりわけ、いまこれを見ている文芸翻訳学習者のかたは、何はともあれ、まずこの作品を買って読んでください。そして、おもしろいと感じたら、周囲の人たちにも勧めてください。本の内容についての賛否はあって当然ですが、もし将来この世界で仕事をしたい気持ちが少しでもあるなら、いまかならず読んでおくべき本、ふだん翻訳書を読まない人にも薦めるべき本というのは確実にあって、この作品はまちがいなくそのひとつです。

 映画についてもひとことだけ書いておきますね。月並みな言い方ですが、原作の魅力をしっかり伝えた佳作だと感じました。ヘルプの未来を象徴するあのラストにも強く賛同します。

 ミニーを演じてアカデミー助演女優賞を獲得したオクタヴィア・スペンサーにスポットを当てた特別インタビューを下に貼っておきます。もちろん好演でしたが、わたし自身は、めちゃくちゃに性悪な白人女を徹頭徹尾憎らしく演じきったブライス・ダラス・ハワード(ロン・ハワード監督の娘です)にも賞をあげたかった気がします。自分にとっては、かつて〈マンダレイ〉で演じた役柄の印象があまりに強烈で、それとの好対照に驚いたからでもあります。

映画「ヘルプ 心がつなぐストーリー」公式サイト

 

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